2015年5月31日日曜日

山口西京ウオーキング協会2015年5月例会 旧山陽道シリーズ①(富海~三田尻)を訪ねて 参加報告


2015年5月24日(日)晴れ、一般向、約13㎞、16名参加。



旧山陽道シリーズ①(富海~三田尻)を訪ねて
富海宿~浮野峠~浮野宿~周防国衙跡~宮市宿



 旧山陽道の徳山藩領の富海宿(とのみじゅく)を歩き、橘坂(たちばなざか)から浮野峠(うけのとうげ)の道は旧街道の面影を強く残す。山道の小川から萩本藩領の三田尻宰判に入り、浮野宿(うけのじゅく)・周防国衙跡(すおう こくがあと)を経て宮市宿の防府天満宮大鳥居前で旧山陽道とお別れ、JR防府駅方面の萩往還の立市に向って南下する楽しい歴史の旧道歩き旅でした。
お天気が良く急坂の浮野峠越えも爽やか、ウオーキングでは無いが豪華寝台列車「トワイライトエキスプレス」と橘坂で遭遇したのは幸運でした。

*宣伝:下見を2015.03.12(木)曇り、一般向、約13㎞、5名で実施。
 『案内板など本番と違う写真資料を多く掲載しています、是非ご覧ください』
1)当ブログの右欄外のブログアーカイブ、2015 3月から該当をクリック(2015.03.25投稿)。
2)グーグル検索(グーグル ブログ) ⇒ 下見:山口西京ウオーキング協会2015年5月例会
旧山陽道 橘坂入口 「画像処理」
トワイライトエクスプレス 橘坂 「JR山陽本線(下り) 富海駅~防府駅」



【コースタイム】
スタート・JR富海駅10:02~大和屋政助の墓10:04~JR山陽本線・中町踏切10:08~富海本陣跡10:11/12~飛船問屋大和屋政助の船蔵10:14/15~「船蔵通り」~小田海僲画伯誕生之碑10:16/17~伊藤 井上両公上陸跡地・船宿入本屋跡10:18/20~富海海水浴場(トイレ休憩)10:28/31~JR山陽本線・橘坂(きつさか)第1踏切10:33~旧山陽道入口看板 橘坂 (たちばなざか)10:36~手懸岩10:39/40~トワイライトエキスプレス撮影会?!!!10:45/48~茶臼山古戦場10:51~石畳11:00~浮野峠改修碑11:02~浮野峠11:10~浮野駕籠立場11:16/17~又兵衛屋敷跡11:17~阿弥陀寺境界石11:21/22~徳地屋敷跡11:22/23~春日宮常夜灯11:24~浮野半宿の看板(浮野公民館前)11:24/27~柳川(浮野と今宿の境)11:34~今宿11:37~一里塚跡(水分補給休憩)11:38/39~三の坪橋・馬刀川11:41~不許薫酒入山石碑11:44~旧R2号合流11:50~国衙跡交差点・旧R2号分れ(朱雀大路)11:56~国庁跡史跡公園(トイレ休憩)国庁碑11:58/12:05~朱雀大路左折12:11~毛利庭園前12:14~佐波神社・周防総社12:16/18~周防国分寺前12:21~一等水準点12:25~岡本三右衛門顕徳碑12:26~防府天満宮大鳥居前12:29~立市12:32~らんかん橋12:32~しあわせます通り12:36~ルルサス防府(JR防府駅隣り)12:45。



*富海の参考文献:富海史談会10周年記念「史跡でめぐる ふるさと富海」。
*牟礼(浮野)の参考文献:牟礼郷土誌同好会編「歴史の道 山陽道(浮野峠)」
注:富海史談会さんと牟礼郷土誌同好会さんは、旧山陽道の整備をボランティアで行っていらっしゃいます。皆さんも環境整備に協力して、感謝の心で歩きましょう。



◇旧山陽道・富海宿(とのみ じゅく)。
 飛船問屋大和屋政助の墓。藩内保守派に追われた高杉晋作は、政助により暴風雨のなか船で下関に逃亡、危機一髪の危険から救った。墓碑銘「尊壌義民大和屋政助墓」は品川弥次郎の揮毫。
大和屋政助の墓

富海本陣跡

同上 「画像処理」



◇船蔵通り。
 飛船問屋大和屋政助の土蔵(船蔵)など、海から直接船を入れる建物がならぶ。幕末に多くの勤皇志士が大阪との往復に利用し、兵員輸送にも活躍した。
 小田海僲(おだ かいせん)。京都の松村月渓のもとで丸山派の画を学ぶ、文人画に転向し南画家として大成した。頼山陽と親交があり、弟子に大庭学僲がいます。
飛船問屋 大和屋政助の船蔵 「画像処理」

石垣の間が船蔵。ウオークしている所は、昔の海岸線

船蔵と階段

小田海僲画伯生誕之地碑 「画像処理」



◇伊藤博文・井上馨両公上陸跡地・船宿 入本屋(いりもとや)。
 七卿落ちの三条実美卿が入本屋に逗留、お酒好きな卿が酒屋に与えた書状が残る。
伊藤・井上両公上陸跡地 「画像処理」

同上 「画像処理」

同上、石碑


◇富海海岸(トイレ休憩)。
 東西約550mの白砂青松の海水浴場。 〈海の家の海鮮料理、ビールに良く合う〉
富海海岸

同上、トイレ 「画像処理」


同上。旧山陽道は右の茶臼山から、浮野峠を進む


◇旧山陽道・橘坂(たちばなさか)。
 橘坂の手掛岩(手懸岩、てかけいわ)。坂を登ると海側にある大岩で、由来は今川貞世〈九州探題〉の紀行文『道行振(みちゆきぶり)』で詠われた「あら磯の道よりもなお足曳(あしびき)の 山たちばなの坂ぞ苦しき」。 
橘坂 「画像処理」

同上、富海海水浴場を望む

同上、手懸岩(てかけいわ) 「画像処理」


◇トワイライトエク ススプレス撮影会?!!!
 〈JR下関駅を出発後、琵琶湖を一周してJR下関駅に帰る時に偶然遭遇。 「富海駅~防府駅」〉
JR山陽本線(下り)
同上

同上



◇茶臼山古戦場跡。
 大内輝弘は大内氏終焉領主の大内義隆の従兄弟。大友宗麟〈妻は大内氏〉の後ろ盾で豊後から秋穂に上陸、山口を占領しましたが。毛利の軍勢に攻められ、豊後には帰る船もなく自刃しました。
茶臼山古戦場 「画像処理」

同上、大内輝弘の墓

同上、水が溢れた街道を横切る。徳山藩と萩藩の境 「画像処理」



◇浮野峠(うけの とうげ)。
 峠は末田地区の上に出ます。下の斜面には、七世紀から八世紀にかけて操業した須惠器窯の古窯群が存在。 〈現在は末田窯として栄え、壺まつりが開催されています〉 
石畳

浮野峠改修碑

浮野峠頂上

下りの竹林



◇浮野駕籠立場(うけの かごたてば)跡。
 参勤交代の際藩主の休息所に当てられたという「駕籠立場」、往時の茶屋跡の「又兵衛屋敷」など。
旧藩政時代より最近まで萩焼の釉薬の原料である長石の産地で、方々に採掘跡が残っている。
R2号下りを望む

浮野峠を振り返る、左上はR2号

防府市街の眺め良し。中央の小山が桑山、毛利氏が築城したかった



◇浮野宿(うけの じゅく)。
 浮野町は宮市と富海の中間にあたり、旅人の休憩する「半宿」であった。阿弥陀寺境界石、俊乗坊重源が阿弥陀寺創建に当たりこの地を開発し、境界石の一つとして建てたとの説もある。徳地屋の立石家は大名の休憩所に当てられた所といわれている。春日宮の常夜灯、春日宮はここから北方約二キロメートルの坂本の地にある春日神社で、その創建は文治二年(一一八六)であるが、阿弥陀寺の鎮守として奈良から勧進されたともいわれている。
阿弥陀寺境界石 「画像処理」

徳地屋敷 「画像処理」

春日宮常夜灯 「画像処理」
柳川(浮野宿と今宿の境)上流を望む。天井川で川底が田畑より高い



◇今宿(いまじゅく)。
 浮野宿境の柳川から旧R2号合流の国衙まで。
今宿

一里塚跡だが何もない、農協牟礼支所前で水分補給 「画像処理」

馬刀川(まてがわ)の下流に、大内氏渡来伝承の岸津神社
廃大光寺の石碑



◇周防国衙跡史跡公園。
 周防国の国府跡。史跡公園でゆったり寛げる、平日の下見時は発掘調査が行われていた。
周防国衙址 「画像処理」

同上

同上

同上



◇毛利氏庭園前~防府天満宮大鳥居。
 毛利氏庭園、毛利博物館があり雪舟の「山水長巻」や重要文化財の木印「日本国王之印」など、例年秋には「国宝展」が開かれ田舎なのでゆったり観られます。
聖武天皇勅願寺の周防国分寺、現存する数少ない国分寺。金堂と本尊薬師如来は重要文化財です。
毛利氏庭園前

佐波神社前

周防国分寺説明板、寺格を表す五本線が鮮やか

岡本三右衛門の顕徳碑。坂本龍馬や久坂玄瑞のお世話をした



◇宮市~萩往還を南下。
 防府天満宮、日本で最初に菅原道真公を祀った。
防府天満宮大鳥居 画像処理」

立市(たていち)


らんかん橋 「画像処理」
幸せます通り 「画像処理」



◇JR防府駅周辺。
 駅隣りのルルサス防府に「ほうふ花燃ゆドラマ館」、防府市岡村町は楫取夫妻終焉の地です。
ルルサス防府 手前

ルルサス防府 「画像処理」


同上。焼き菓子、防府市向島にマメダヌキ生息 「画像処理」